昭和57年卒業のOBの皆さんを中心に、その前後の卒業生が集まり、平成30年12月30日、北新地「コトブキ」にて同窓会(平成最後の忘年会)を行いました。
近況報告や思い出話、卓球談議に花が咲き、久しぶりの再会に盛り上がりました。
(S57)増池 吉村 常盤 飯田 松浪 小川 永井
(S54)今川 平野 新谷(関学)
(S54)石田 (S57)辻本 辰巳 柴田
(S56)山口 (S58)日浅
最近、卓球を再開したメンバーもおり、1部・2部OB卓球大会や関関甲OB卓球大会にも参加してもらえたらと思います。二次会はカラオケに繰り出し、楽しい一夜となりました。参加者の皆さんお疲れ様でした。 石田(記)
昭和52年卒の棚橋です。
木戸OB会長の1年後輩で、竹内女子監督とは同期、平野男子監督の2年先輩に当たります。この度、6月18日から24日にかけて、アメリカのネバダ州ラスベガスで行われた「第19回世界ベテラン卓球選手権」に参加してきましたので、ご報告いたします。
この大会は、2年に一度、世界各地で実施されています。40歳以上90歳代まで、5歳ごとの年代別でシングルスとダブルスが行われ、誰でも参加することができます。2年前のスペイン・アリカンテで行われた前回の第18回世界ベテラン卓球選手権に出場する予定でしたが、直前になり急遽「脊柱管狭窄症」の手術をすることになり、出場を断念しましたので、今回はリベンジの気持ちを持っての初参加でした。
世界各地での実施ですので、大会参加のついでに風光明媚な観光地を周遊する方が多いのですが、私は大会終了とともに帰国しましたので、大会が行われたラスベガスのようすと、大会のようすのみの報告となります。
■「賭博の街」ラスベガス
まず大会が行われたアメリカ・ネバダ州・ラスベガスですが、ご存知のように、カジノで有名なところです。日本からは、ロスアンジェルス経由でラスベガスまで、飛行時間は12時間30分程度です。内陸の砂漠のど真ん中に、賭博を目的に作った人工的な「街」です。年間300日以上は晴天で、雨はほとんど降らず、夏季の日中は40度近い気温で、外では熱風が吹いています。日本のような湿気はなく、ジメジメしていませんが、日中外を歩いていると、まさに「目まいを覚えるような」暑さです。
写真左は、ラスベガスの中央通りのようすです。片側6車線ですから、両方で12車線の道路は、横断歩道を渡るだけでも大変です。車は、乗用車もピックアップトラックなどのRVも、大型車がほとんどでした。日が暮れると右の写真のように、カジノ等の娯楽の街の雰囲気が濃厚になってきます。街全体が不夜城のようになり、朝までネオンが輝いています。賭博と娯楽を求めて、世界中から観光客がラスベガスへ来ています。
■世界各地97の国と地域から、5500名が参加
世界ベテラン卓球選手権は正式には「19th WORLD VETERAN CHAMPIONSHIPS」と表記します。略して「WVC」です。今回は97の国と地域から、5500名を超える参加がありました。40歳~44歳、45歳~49歳、50歳~54歳というように、40歳以上5歳刻みの年代別の試合になります。最高年齢は90歳代の参加もありました。
男女それぞれ年代別にシングルスとダブルスが行われます。まずシングルスは4名、ダブルスは4組での予選リーグが行われ、上位2人ないし2組が決勝トーナメントに進みます。予選リーグで下位になった選手も、コンソレーションというトーナメントに参加して楽しむことができるように設定されています。
月曜日にシングルスの予選リーグ、火曜日にダブルスの予選リーグ、水曜日が休養日、木曜日がシングルスの決勝トーナメント1回戦~3回戦とコンソレーション、金曜日がダブルスの決勝トーナメント1回戦~3回戦とコンソレーション、土曜日がシングルス・ダブルスの4回戦~準々決勝まで、日曜日が各種目の準決勝・決勝が行なわれます。会場は、ラスベガス・コンベンション・センターという、国際会議が行われる広い施設で、5500名が試合できるように、250台の卓球台が用意されました。下の写真は、会場のラスベガス・コンベンション・センターです。
■シングルスは、予選リーグ2位通過するも決勝トーナメント1回戦にて敗退
シングルスの予選リーグは、4名の選手で行われ、上位2名が決勝トーナメントに進み、下位2名はコンソレーションという親睦目的のトーナメントに進みます。65歳~の私のグループは、インド、ドイツ、アメリカの選手と私の4名でした。総当たりのリーグ戦を行い、私は2勝1敗の2位となり、決勝トーナメントに進むことができました。この予選リーグが、勝ち負けを抜きにして楽しく、「参加して良かった」と思えた時間でした。
試合の前に4人揃っての記念写真を撮り、お互いに相手に対して用意した自国のお土産を交換し、和気あいあいと親睦をはかります。ラバーは何を使っているかとか、応援に誰が来ているとか、基本的には英語で話すのですが、高揚してくると自国の言葉が出て、理解できません。またそれが面白いのです。私は相手へのお土産として「にぎり寿司」の形をした消しゴムを用意しました。イカやタコ、イクラなどを「日本の寿司です」と紹介しながら渡しました。「でも、食べないでくださいね。消しゴムなので・・・」と言うと、皆大受けでした。
左の写真は予選リーグのメンバーです。左からドイツのGASSERさん、インドのSHARMAさん、アメリカのSCHILHABさん、私です。
下は、予選リーグ・グループ87の結果表です。
親睦の時は笑い声が絶えませんが、いざ試合が始まると、表情は真剣そのものです。ここぞと言う時には大きな声を出し、ミスをしたら悔しがっていました。国は違いますが、皆さんの卓球に対する真摯な気持ちを感じました。また、インドのSHARMAさんは、審判による試合開始の合図があってから、ゆっくりとお祈りを始めました。1分間くらいでしたが、精神統一のためなのでしょう。国によって風習が違うのに驚きました。
予選リーグ戦が終わってからお互いに健闘をたたえあっている時に、グループの他の3名の選手の方々が私のことを「ナイスガイ」と褒めてくれるのです。とても嬉しかったのですが、なぜナイスガイなのかのところが、英語の発音が早くて聞き取れませんでした。次回までには、卓球の技術面とともに英語力も高めておかなければと思いました。
決勝トーナメントは、残念ながら1回戦でデンマークのELLEGAARDさんに負けてしまいました。シェーク裏裏の選手で、確実にドライブをかけて攻めてくるタイプでした。サーブが効き、1、2セットを取り有利な展開でしたが、次第に相手のドライブが安定してきてフルセットの末負けてしまいました。作戦面での修正、集中力の維持などが今後に向けての課題です。
ELLEGAARDさんは、威厳のある風貌で強面の印象でしたが、試合後話をすると、とても気さくな方で「グッド・プレイヤー」と褒めてくれました。ヨーロッパの人は、相手のことを賞賛するマナーが身に付いているせいか、どんな時でも社交的でフレンドリーです。
下は、ELLEGAARDさんからもらったお土産。デンマークが発祥地である「レゴ」の人形。
■ダブルスは、予選リーグ1位通過したものの決勝トーナメント2回戦で敗退
ダブルスは、中学・高校の同級生とペアを組んで出場しました。ダブルスの予選リーグは、シングルスと同様に4組で行われ、上位2組が決勝トーナメントに進みます。私のグループは、フランス、アメリカ、ロシアとドイツの混合チーム、と私達でした。この大会は、ダブルスのパートナーがいなくても、大会運営者の方で、適切な相手を探してくれる仕組みになっています。ですから、1人でも安心して参加することができます。
(▼写真左は予選リーグのグループ。右は決勝トーナメント2回戦試合前の記念写真)
事前練習のようすを見ていたら、アメリカチームはアメリカと言っても中国人で、手強そうでした。予選リーグの試合結果は全勝で、1位通過となりました。決勝トーナメントは、予選1位だったこともありシードになり、最初の試合が2回戦で、アメリカチームが相手でした。アメリカチームの1人は中国人で、とても強い選手で、押し切られる形で0ー3で負けてしまいました。
予選リーグでは、シングルス同様に、いろいろな国の選手達と試合前・試合後と友好を深めることができました。アメリカから出場の中国人は、粒高のショートマンで無愛想でし たが試合が終わってからは友好的でしたし、ドイツの選手は、試合進行も手際よく進めてくださり、配慮ある紳士でした。相手選手への土産も丁寧に準備されているのが分かりました。片言の英語ですが、海外の皆さんとコミュニケーションを取りながら、卓球の話をして盛り上がれることは、素晴らしいと感じました。
左の写真は、ドイツのNIESWANDさんからいただいたお土産です。ポストカード、出身地のネームホルダー、ドイツ国旗色のリストバンドです。
■次回は2年後、フランスのボルドーで開催されます❗
私個人の試合は金曜日に終わってしまいましたが、土曜日~日曜日にかけて、シングルス・ダブルスの4回戦~決勝を観戦しました。この「世界ベテラン卓球選手権」は、97の国と地域から5500名もの選手が集まっていますが、皆が上手な選手というわけではありません。半数くらいは、どちらかといえば卓球はあまり上手ではないけれど、卓球が好きでたまらず、何しろ楽しみたい、といった「卓球愛好家」の人が多いように感じました。むしろ、だからこそ、この大会が友好的で、各国の選手同士が楽しい親睦をはかることができる貴重な場になっているのだと思います。
左は、250台の卓球台が用意された試合会場
右は、各年代別決勝戦のようす
この大会が素晴らしいのは、世界中の選手達とコミュニケーションが取れることもありますが、勝ち上がっていくにつれ、レベルの高い試合が展開されることにあります。招待選手も数名参加していて、今回は、かつて世界選手権で活躍したスエーデンのパーソンさんも参加していました。昔卓球レポートでしか見たことがありませんでしたが、練習のようすを見た瞬間「パーソンだ」とわかりました。
また、90代の決勝戦も素晴らしかったです。決勝進出の2名の選手とも、杖をついて会場に入ったのですが、卓球台に着くなり「シャキッ」として、ラリーを始めました。後ろにボールを拾いに行くのが大変なので、それぞれのお孫さんが「ボールボーイ」として控えてフォローするという、ほほえましい光景でした。
料金のことをお伝えします。代理店を通しての申し込みですと、観光プランを除いた基本コースだけで34万円が設定されています。観光コースを追加すると、プラス15万~30万円かかってしまいます。今回私は友人と2人でインターネットで飛行機とホテルを手配しました。飛行機がロスアンジェルス経由ラスベガス往復で94000円、自炊設備の整ったホテルで8泊で7万円、大会参加費が26000円ですから、合計19万円でした。外食をせずに自炊生活で、昼もお弁当を作って試合会場に行きましたし、観光せずに帰国しましたので、あとはお土産代がかかったくらいでしょうか。
次回は2年後、2020年6月8日~14日に、フランスのボルドーで開催されます。ワインで有名な街で、世界遺産も多く、美術館・博物館などの文化施設も充実しています。もちろん美味しいワインとフランス料理もそろっているようです。
参戦記を読んで興味を覚えた方は、次回の2年後フランス・ボルドーにご一緒しませんか。絶対に楽しいと思います。東京オリンピックの前月に開催されますので、世界各国の方がたにとっても日本への興味が増している頃と思います。私が皆さんの旅行の手配はできませんが、必要な情報は、わかる限りお伝えできると思います。関大OBチームのオリジナル・ユニフォームを作成して・・・などと、夢ばかりがふくらんできます。ご興味のある方は、ホームページの「お問合せ✉」までご連絡いただければ幸いです。
参戦記をお読みいただき、ありがとうございました。
棚橋正光(昭和52年卒)
関大卓球部OB・OG会副会長の新田です。7月15日(日)慶応義塾大学日吉キャンパスで慶関卓球定期戦が行われ、昨日に引き続き応援に行って来ました。
日吉駅から慶応大学の構内に入ると第68回慶関卓球定期戦と案内がありました。私の年令が66歳なので、私が生まれる前からこの定期戦は、行われいたのかとの思いでした。確認したところ第1回は、昭和26年開催。関関戦が昭和36年なので一番古い歴史のある定期戦です。幾多の選手が競い合ったのだろうかとの思いがしました。関大にとって関東の実力を知る、良い機会になるのだと思いました。
慶応の卓球場は、比較的新しい建物の中にあり、当日はうだるような暑さでしたが練習場内は、冷房が効き快適でした。最近は、関大も冷房の中で練習できると聞きました。いいですね!
慶応大学の男子は、この春のリーグ戦で全勝し入れ替え戦に勝ち、秋は2部リーグに昇格、女子も3部リーグで全勝し入れ替え戦に負け、3部に残留とのことです。
この日も応援席が、男子の試合の前でしたので男子の試合の観戦記を記します。
第1試合
坂根・福本(関大)3(-6,7,-8,12,9)2白井・林(慶大)
お互いに厳しく攻めあう好ゲーム、4,5セット目やっと取るぎりぎりの勝利でした。
第2試合
各務・増田(関大)2(6、-8,9,6、-10)3窪田・橋本(慶大)
この試合変わった事が起こりました。最終セット関大組が、10-3か4でリードしていたのですがそこからひっくり返されて負けてしまったのです。シングルでは起こるかもしれませんが、ダブルスでこのスコアから逆転されるとはちょっと有り得ないことです。何があったのでしょう?
第3試合
増田(関大)3(-9,6、-11,5,5)2清水(慶大)
増田君ラリーになると力が入り過ぎていましたが、何とか勝利しました。
第4試合
各務(関大)3(-6、9,12,7)1林(慶大)
相手のチキータレシーブやドライブが厳しくなかなか先手が取れない展開でしたが、後半は、サーブのコースを変えたり工夫が見え辛くも勝利する好ゲームでした。
第5試合
坂根(関大)3(3,7、-4,5)山口(慶大)
相手のカットを完璧に打ち崩し1セットを失うものの貫禄の勝利でした。
写真を撮り忘れてしまいました。
第6試合
福本(関大)2(-7,8,6、-10、-7)3窪田(慶大)
期待の星、福本君の試合注目して見ました。相手も左利き、もしかして相手のエースかも知れません。壮絶なラリー戦となり福本君が押される展開が多い試合内容。白熱した好ゲームでしたが惜しくも敗戦となってしまいました。福本君もう一歩台に近づいてプレー出来るようになれば、得意のバックハンドももっと厳しくなるので、相当強い相手にも勝てるようになるのではと感じました。
第7試合
田阪(関大)2(-8、-5,6,5、-6)3橋本(慶大)
田阪君は主務をしており最近は、あまり試合に出ておらず今回ある事情があって、急遽の出場です。相手の橋本君は県立千葉高校の出身。縁あって私は、昨年からこの高校のコーチをしています。県立千葉高校は、県下屈指の進学校で高校時代そう厳しい試合を経験していないはずなので好試合になるのでは思っていました。
田阪君1,2セットは、相当緊張しているようで打ちミスの連発でしたが、3セット目からやっと落ち着いたか、開き直ったか今度は、好打を連発して3,4セットを連取。5セット目相手も立ち直り好ゲームなりましたが、惜しくも負けると言う結果でした。田阪君に拍手です。
第8試合
杉山(関大)3(10,7,4)0井芹(慶大)
杉山君3-0と相手を寄せ付けず完勝。
第9試合
西郷(関大)0(-7、-10、-6)白井(慶大)
キャプテン西郷君奮闘するも相手の速攻に打ち負ける。
女子の試合風景
結果は、男子 関大 5-4 慶大 女子 関大 5-2 慶大 男女とも関大の勝利でした。
今回の関東遠征で選手諸君は、自分の卓球にとって色々感じたことも多かったと思います。秋のリーグ戦まで良い練習をして勝利してもらいたいものです。
OB・OG会の副会長新田です。7月14日(土)墨田区総合体育館で行われたインカレの応援に行って来ました。
昨日までの予選リーグで男女とも1勝1敗で決勝トーナメントに進出しており、今日は、決勝トーナメント1回戦からです。対戦相手は、男子は強豪の愛知工業大学、女子は、筑波大学です。男女とも9時半と同時刻に試合開始だったので男子の試合を中心に観戦しました。
第1試合 坂根(関大)対木造(愛工大)
第1試合は、関大のエース坂根君。相手は、昨年度のインターハイチャンピョンであり、国際大会でも活躍している木造選手。左対左の試合でもありどのような試合になるか注目です。
1セット目、坂根君ちょっと気後れしたのか調子が出ず6-11で落とす。
2セット目、坂根君が、気を取り直し集中力も上がり11-7でセットを取り返す。
3セット目、坂根君出足好調に5-0とリードする。しばらく小競り合いが続き10-6でゲームポイントを奪いこのまま終わるかと思ったところ、次サーブが、少し台から出たところをレシーブドライブを決められ、そこから10-10のジュースにもつれ込んでしまう。ここから坂根君奮起しラリー戦になるもフォア、バックを駆使してこの打撃戦を制し13-11で2セット連取する。
4セット目、期待がかったが、相手も必死で2-11でこのセットを失う。
5セット目、相手もギアを上げたかのような試合運びで、YGサーブ、チキータレシーブを決められ苦戦する。7-10まで追い上げたところで相手が手堅くタイムアウトとり、残念ながら7-11と敗れる。好選手同士の白熱したゲームでした。
第2試合 杉山(関大)対高見(愛工大)
関大2番手は、2年の杉山君。対する愛工大は、1年の高見選手。彼も国際大会で活躍する強豪です。
1セット目、相手にほとんどミスが出ず、手堅い試合運びに4-11で落とす。
2セット目、ラリー戦にはほとんどならず、サーブ、レシーブでの先手の取り合いとなり一進一退のゲーム展開、9-9から杉山君得意のバックハンドストレート強打、チキータが決まり11-9でセットを奪う。
3セット目、出足不調で1-7と大きく引き離されてしまう。打ち負けるのではなく、サーブ、レシーブの細かなテクニックで点を取られるという感じ。
4セット目、相手のサーブ、レシーブに手こずるもシーソーゲームを展開し10-10のジュースとなる。ジュースの後、杉山君痛恨のサーブミス。相手のプレッシャーを感じたのか?次も相手のネットインであっけない終末を迎えてしまい10-12で負けてしまう。
第3試合 坂根、福本(関大)対木造、吉村(愛工大)
第3試合は、ダブルスの対戦。関大坂根君のパートナーは、1年生の福本君。彼は、久し振りの京都の名門東山高校の出身で、今年あの樫原秀明さん(関西学生チャンピョンの柏原賢二さん以外にもう一人強いカシハラさんがいたのです。卓球、性格とも豪快。卓球、性格ともやや繊細さに欠けていましたが。)以来の関西学生新人戦でシングル、団体で優勝した期待の星です。一方、相手は吉村選手が出てきます。彼は、全日本選手権準優勝、今年のワールドツアー香港オープンで優勝するなどの強豪です。
1セット目 サーブ、レシーブ良くラリー戦も引けを取らずむしろ押す展開で11-7で先取する。坂根君のみならず、福本君のセンスの良さを感じました。
2セット目以降 相手もこのままではダメだと思ったのでしょう、チキータを連発しだし、どうしても対応に苦しむ展開となり残念ながら1-3の敗戦となりました。
女子1回戦 関大対筑波大
女子の試合は、遠目に見ざるを得ませんでした。予選リーグで名門東京富士大学に2-3と善戦したので筑波大ならと期待を持っていました。
第1試合 赤川(関大)対田口(筑波大)
2年生赤川君(土佐女子出身)頑張るも0-3の負けとなりました。
第2試合 北岡(関大)対望月(筑波大)
1番の赤川君と同じ高校土佐女子出身の3年生北岡君の登場。彼女のカットに期待がかかります。すごい粘りで頑張ります。長時間の試合展開で、最終セットまでもつれ込んだのですが、最後はちょっと力尽きた感じで敗戦となりました。
第3試合 赤川・宮村(関大)対田口・高東(筑波大)
グリーンのユニフォームが関大です。あまり着たことがない色ですよね。
この試合は、0-2と2セットダウンからよく挽回し、最終セットまで頑張って挽回したのですが残念ながら2-3で負けてしまいました。長時間頑張ったのですが、頑張りには拍手をりました。
残念ながら今回は、男女とも1回戦の敗退となりましたが、秋のリーグ戦には期待の持てる試合内容でした.皆で応援に行きましょう!
すみません、OB・OG通信なのでもう少し読んで下さい。
私事ながら、私たち夫婦でイタリア旅行に行って来ました。観光第1、友好第2で行って来ました。
イタリアのエミリア・ロマーニャ州の卓球協会の副会長のグイド・カスタルディーニさんに誘われ2回練習してきました。彼のクラブは、Fortitudoと言うチームで創立1901年ととても歴史と伝統のあるクラブでした。1901年と言うと、まだ日本には卓球が伝わってない年です。
左はそのクラブとの練習風景です。室内は、とてもモダンな体育館でした。
そして、とても考えられないことが起こったのです。同年代のOB・OGさん達に報告します。
ローマから成田への帰りの飛行機の中で荷室に荷物を上げているところに「新田、新田」と誰かが呼んでいるので振り返ると何と先輩の河野満さんがいるではないか。何と同じ列、私達の右隣に河野さんがいたのです。
先ほど書いたあの樫原秀明さんと同級生の河野満さんです。同姓同名の元世界チャンピオンではありませんが、河野さんも強かった。関西ランカーでもありますし私には学生時代一度も勝たせてくれませんでした。
河野さんは、河野さんの古希の祝いでお嬢さんが、ご夫婦にイタリア旅行をプレゼントされて3人の家族旅行の帰りだったとのことでした。
席が少しでも左右、前後にずれていたら会うことが出来なかった思いました。こんなことも人生には起こるのですね。関大卓球部の絆を感じました。
平戸にお住まいの小島(旧姓山本・s47卒)晴子さんがYouTubuで、関大卓球部の同期会をアップされています。
2016.6.11~13 平戸・天草
2017.4.9~10 丸亀・淡路島
の2つがあります。
樫原さん(s47卒)、河野さん(s47卒)、原澤さん(s47卒)、新志さん(s47卒)、小島さん(s47卒)、楠本さん(s48卒)、松尾さん(s49卒)、南口さん(s49卒)の元気な様子が、楽しいコメントとともに写し出されています。
YouTubu yorumomado
https://www.youtube.com/user/yorunomado
※他の年代でも同期会をされていると思います。学生時代一緒に頑張った先輩後輩に報告する意味でも、このホームページでアップをしませんか?
希望の方は、「お問い合わせ✉」から連絡をください。
(木戸 記)
12月3日の土曜日、梅田のハービスENT「なだ万ダイニング ジパング」にて、53年卒~57年卒のOG有志で女子会を開催しました。 (木戸明美 記)
前回の集まりから1年9ケ月、久しぶりに6名のランチで盛り上がりました。
今回のメンバーは、辰巳、田峰、藤山、㟢山、平野、西浦(旧姓で敬称は略)です。
次回も予定をしていますので、参加希望の方はご連絡ください。ただし、女子だけですよ~~。
昭和47年卒業のOBOGの皆さんの声かけで、平成28年11月12日(土)・13日(日)の両日で同窓会を行いました。
初日は、母校40数年振り訪問ツアーから始まりビヤホール昼食宴会と続き、その後は神戸南京町中華ゆうげの会に突入、神戸日本三大夜景観賞しつつの真夜中回顧談大会でとりあえずは終了しました。
翌13日朝は三宮で熱いコーヒーとサンドイッチで、ボーッとした頭にカツを入れることから始めました。
その後は各人思い思いの行動となり、長崎県平戸より参加の豪傑OGは本日夜の南紀白浜での高校同窓会にいそいそと出かけ、宮崎県から来られたOBは5人のグループで布引の滝観光とJAZZ喫茶でフェリーまでの時間を楽しく過ごされました。その他のメンバーは個人行動でそれぞれ健全な場所に散っていきました。 木戸(記)
○左から、南口さん(s49卒)、松尾さん(s49卒)、小島さん(s47卒)、原澤さん(s47卒) 木戸(s51卒)撮影
まず、12日10時に阪急関大前駅に5名が集合しました。原澤さん(工学部卒)と小島さん(文学部卒)は卒業以来初めての来校で、あまりの変わりようにびっくりしておられました。
○左から、小西さん(s50卒)、久保田さん(s50卒)、藤井さん(s50卒)、新田さん(s50卒)、木戸(s51卒)、山本さん(s47卒)、小島さん(s47卒)、原澤さん(s47卒)、河野さん(s47卒)、松尾さん(s49卒)、南口さん(s49卒)
正午から、曽根崎通りニューミュンヘンでビヤパーティになりました。まずはビールで乾杯スタートです。
〇手前から時計回りで、樫原さん(s47卒)、南口さん(s49卒)、河野さん(s47卒)、久保田さん(s50卒)、木戸(s51卒)、小島さん(s47卒)、松尾さん(s49卒)、新田さん(s50卒)、山本さん(s47卒)、久米さん(s49卒)、原澤さん(s47卒)
夕方6時ころから、南京町で円卓をみんなで囲み、またまたビールで乾杯!
一番盛り上がりました話は、参加されているK先輩の超々豪快な武勇伝の数々でした。久しぶりにみんなで大笑いをしました。
お世話になりました超高層マンションの前で!
このマンションは南口さんの娘さん家族がお住まいで、30階にありますゲストルームにこのメンバーが昨夜は午前2時半まで、神戸港の夜景を見ながら楽しく酒盛りをしました。あるOBOGは備え付けのジャグジーから夜景を満喫していました。
マンションはルミナリエ会場の横の超好立地です。
宮崎県からお越しの原澤さんは、樫原さん、河野さん、松尾さん、南口さんの5人で、ロープウェイに乗り布引ハーブ園で昼食し北野異人館から元町に戻り、南口さん御用達のJAZZ喫茶でコーヒーを楽しみ、神戸を大いに満喫されました。
最後に、13名ものOBOGの方々が集まっていただきまして、幹事の松尾さんをはじめみなさんには感謝をいたします。
本当に卒業以来初めてお会いする方もいらっしゃって、楽しい2日間を過ごさせていただきました。
有り難うございます!!
福井顧問(s22卒)がOBOG会の会合に出席されなくなられたのは3,4年前くらいからでしょうか? 日頃より気がかりでしたので、川鍋さん(s36卒)と権野さん(s39卒)、葛輪さん(s39卒)、島谷さん(s41卒)と木戸(s51卒)で、ご機嫌伺いに奈良市内の「ならまち」にありますお宅を訪問してきました。
お邪魔しました9月13日(火)はあいにくの雨模様でしたが、7歳下の奥様とご一緒に玄関まで元気に出迎えていただき、お伺いしました5名は一安心をしました。お昼前でしたので柿の葉寿司とビールをいただき、昔の卓球部の写真をみんなで見ながら楽しいひと時を過ごさせていただきました。
奥様のおっしゃるには、前日から大変楽しみにしておられ、しばらくは今日皆さんにお会いしたことを繰り返し喜んで思い出されるでしょうとのことでした。そういえば「よう来てくれた、よう来てくれた」と何回もおっしゃっていました。おいとまするときも、私たちが角を曲がるまでお二人で見送っていただきました。
福井さんは今年93歳になられます。いつまでもお元気でお過ごしください。有り難うございます。
左から、島谷さん、奥様、福井さん、権野さん、葛輪さん、木戸、川鍋さん
さて、福井清さんは現役時代の昭和21年、戦後初となる関西学生秋季リーグ優勝の原動力となり、また関西学生選手権では、シングルスを征した松本元茂さんと組んだダブルでも優勝をされています。
卒業後は、監督、OB会長そして顧問として、関西大学体育会卓球部およびOBOG会に尽力いただいております。 木戸記
藤本陽一(s62卒)君から表題の報告メールを受けました。
この受賞はOBOG会としても誇れることと思い、本人の承諾を得まして 木戸(s51卒)が報告をします。
< 藤本君からのメール >
このたび日本卓球公認工業会から、「2020年に向かって・普及功労者アワード」で功労賞をいただきました。
この賞は「地域卓球界の普及、活性化に顕著な貢献をされている指導者、顧問先生、コーチ等、、、」を表彰する制度で、私が北河内卓球連合会長や四條畷市卓球連盟副会長を務めさせていただく中で、卓球人口拡大と(とくに小中学生の)競技力向上の観点から、取り組んでいる内容や(顕著とは言えずお恥ずかしい限りですが)実績を論文にしたのが、少し評価されたのかなと嬉しく思っています。
では、時節柄お身体ご自愛下さい。
詳しくは、「日本卓球公認工業会」の「受賞者発表」
http://www.jam-tt.jp/award/prizewinner.html をご覧ください。
関大卓球部OB,OG会の副会長の新田です。(昭和50年卒)
先日、木戸会長と会った時に世界ベテラン大会にスペインに行ってきたよ。そして、ちょっとした旅行記も書いたので読んで見てよとその旅行記を手渡しました。
その旅行記をこの活動報告に載せてみてはと提案されました。会員の方が、こんな活動をしているよと、これが機会となって会員の活動報告が増えてくれば楽しいじゃないかとの会長とお互いの思いもあり恥ずかしながら載せることにしました。ちょっと長くなるかもしれません。つまらないと思われたら読み飛ばして下さい。
今年の5月23日から29日まで第18回世界ベテラン卓球大会がスペインのアリカンテで行われ、私は、奥様(関大卓球部OGです)と一緒に参加してきました。この大会は、2年に1度開催され、40才以上であれば誰でも参加できます。試合方式は、40才、50才は10才刻み、60才以上は5才刻みで年齢別に分かれたシングルスとダブルルスの試合です。
私は、今回で5回目の参加です。その前は、横浜、ブレーメン、ストックホルム、オークランド、そして今回のアリカンテです。関大のOBで参加されているのは12年前の横浜大会での平野現監督、10年前ドイツのブレーメンの大会で伊藤博之先輩・伊藤和子ご夫妻とお会いしたことがあります。伊藤先輩は、私が大学1年生の時の監督です。今年は、2年後輩の棚橋君も一緒に行くことになっていたのですが直前に体調を崩され行くことが出来ず残念でした。どなたか次回以降一緒に行きませんか?
アリカンテという街は、スペインのバレンシアから南に位置する地中海沿いの街です。日本ではあまり知られてなくガイドブックにもほとんど紹介されていません。インターネットでアリカンテ観光ガイドを調べるとヨーロッパではよく知られる高級リゾート地のようです。古代ローマ時代にも既に存在した港町です。
今回の旅の目標は、三つ有ります。一つ目は、大会で良い成績を残すこと。今までは、ストックホルム大会でシングルでベスト16に入ったことがあります。二つ目は、スペインの旅を楽しむこと。三つめはイタリア語を話すことです。(スペイン語ではありません)
実は私と奥様は、2年ほど前から週1回イタリア語会話教室に通いイタリア語を勉強しています。今回のダブルスのパートナーが、イタリア人なのです。前々回と前回のパートナーは、あの井上哲夫さんでした。あのと書きましたのは、井上さんは我々の年代では知る人ぞ知る人です。世界大会日本代表に3回、全日本選手権シングル2位2回3位2回、ダブルス2回優勝、全日本学生優勝、全日本社会人優勝など素晴らしい成績を持つ名選手です。この大会では、私が、いつも足を引っ張てしまい、あまり良い成績は残せていません。今回は、井上さんが行けないということで、大会組織委員会にパート―ナーにイタリア人をお願いしていたところイタリア人のグイド・カスタルディーニさんと組ませてもらうことになり、果たして自分のイタリア語がどこまで通じるか楽しみでした。
スペインは、まだ行ったことのない国。私の持っているイメージは、樹木が少なく、赤茶けた色の土地、素朴な料理と街並みと言う感じ。果たしてどんな旅になるのやらと少し期待を持って出発しました。
5月21日(土)
成田空港に集合、エールフランス航空を使ってパリ経由でマドリッドに向かいます。成田からパリまで12時間。例によってお酒を飲んで、食べて、観るしかありません。スターウォーズ、007、オデッセイなど映画の最新作を観ながら時間を過ごす。隣に座った方と少しおしゃべりをする。「私達は、スペインへ世界ベテラン卓球大会に出て、その後観光をする」と言うと「うらやましい旅行ですね。そんな旅もあるんだ」と言ってくれる。
パリ・シャルル・ドゴール空港からマドリッド
やっとのことでパリに着く。ここは、何回か来た空港。12時間タバコを吸っていなかったので喫煙所を探す。ところが、無い、ない、ナイ、どこにも無い。空港で働いているらしい人に聞いても、この空港にタバコを吸う場所は、無いと言う。そんなはずは無いと思うが見つけることができない。もうパニック状態になる。もう頭がクラクラする。奥様は、「反応してない。放心状態」と言い出す。でも本当にもうダメと言う感じになる。
しかたなく、パリからマドリッドへの乗り継ぎ便に乗る。マドリッドまでは2時間位、ひとっ飛びと言う感じ。マドリッド空港についてやっと一服する。計算すると成田からマドリッドまで18時間30分、よく我慢しました。着後バスでマドリッドのホテルへ移動。今日はここまでの旅です。
5月22日(日)
今日は、マドリッドからアリカンテへスペイン鉄道で移動です。
マドリッド・アトーチャ駅
マドリッドの駅は、かなり大きな駅だった。その一画は、植物園のようになっている。その中の池にはたくさん亀がいる。駅の中に亀、不思議だな。
構内にたくさんの種類のドライフルーツを売っている屋台が、あったのでどんな味だろうと思って買うことにする。5ユーロ―札を出してこの分だけ頂戴と伝えたつもりが、売り子のお姉さんは、これどう、これどうとドンドン袋にいれる。これで本当に5ユーロ―かなと思っていると結局17ユーロ―(2130円、1ユーロ―=125円当時)だった。でもおいしかった。
スペイン高速鉄道 RENFE
マドリッドの駅を音もなく発車する。5分も経たない内に建物が見えなくなり郊外の風景が広がる。東京、大阪だとか なりの時間走っても建物が、ずっと続いているが、ヨーロッパではどの国でも少し走ると街が途切れ郊外の風景が広がる。スペインも同じで街が、点在している。やはり土地が広いのだと実感する。スペイン高速鉄道は、非常に快適だ。全く揺れを感じない。本当にスムーズに走る。日本の新幹線並みのスピードで走るが、日本の新幹線より快適と思う。シートのデザインも良く、座席は2席ずつの横並びと向かい合わせの席の間にカウンターがある席もあり、ゆったりしている。
車窓の風景
なだらかな起伏が、延々と続いて行く。思っていた通り大きな木や森はない。南に行くほどオリーブの樹が整然と並んでいる。人がきれいに植林したのが伺われる。乾燥した土地にはオリーブぐらいしか育たないのだろうと思える。アリカンテに近づくにつれ山が見えてくる。その山は、白い砂が、何層にも積み重なったような姿に見える。山にはほとんど樹が生えていない。
アリカンテ駅
2時間30分でアリカンテ駅に到着する。ホームの温度計を見ると30度になっている。5月末で30度、一体どれだけ暑い所なのだと思ってしまう。しかし、湿度が低くカラッとしているのであまり暑いとは感じない。でも日差しは強い。
ジャカランダの花
駅からホテルへバスで向かったが、この紫色の花が咲き誇っていた。名前は、ジャカランダ。きれいな紫色の花をつけた樹で街路樹として立ち並んでいる。少し散り始めた頃になろうかと思う。桜の並木道のように通り沿いにきれいに並んで花が開いていた。良い時期に来たのだなと思う。
試合会場 I・F・A
昼食をとったあと、バスで試合会場に練習をしに行く。試合会場は、IFAと言う名の大きなコンベンションセンターを使って、中には165台の卓球台が置かれてある。自分の試合が、どの台で行われるか確認して、試合の台まで行くのが大変だ。今回の参加人数は、4,600人とのことなのでこれだけの卓球台が、必要なのだろう。卓球台の後ろには特設の観客席も施設されている。ちなみに、日本人の参加人数は、260人位です。試合会場は、開会式の準備があるので使えず、練習会場で練習する。南アフリカから来た51才の人と練習をする。試合をしてもらうとセットオールでやっとのことで勝つことができた。長旅と時差ボケのせいか、なかなか思うように身体が動かない。彼とはその後試合会場や町中で出会い挨拶を交わす。
巡り合ったスペイン人
この夜、ホテルから前もって調べておいたアリカンテで人気NO1のレストラン、カザ・ミア・イタリアに行こうとする。路面電車のトラムに乗って行こうと思うが、トラムの駅カンポ・デ・ゴルフ駅がどこか分からない。通りすがりの子連れのスペイン人夫妻に「すみません。」と日本語で声を掛けると何と日本語が返ってきた。彼は、仙台に住んでいたことがあり、毎年日本に行こうと思っているとのこと。親切にも駅まで案内してくれどっちのホームから乗るか教えてくれる。彼らと出会わなければどちらのホームで待てば良いか分からなかったはずだ。彼も少し日本語を話すことができてうれしそうだった。
教えてもっらたホームで待つが、誰もいない、何もない。トラムに乗り込むと車内に自動券売機があり、それで切符を買うようだ。10回回数券を買おうとするがどうも分からない。一人の乗客が、見かねたのか助けてくれて回数券を買うにはまずカードを買わなければダメと教えてくれる。仕方なく1回乗車券を買う。1.5ユーロー(190円)。
カザ・ミア・イタリア (Casa Mia Italia)
メルカド(市場)駅を降り、中央市場の脇の道をカザ・ミア・イタリア目指して歩くもどうも怪しい雰囲気の道だ。薄汚れていて、市場からの異臭も漂い人通りも少ない。奥様も「本当にこの道?」と聞き、引き返したがる。日本で調べて来たのは確かにこの道だと思うが、少し不安になって来たところでカザ・ミア・イタリアがあった。
ところが8時過ぎているというのに店が開いていない。ドアと言うか柵と言うか外からか中を伺うと向こうから男性が出て来て、何のようかと言う感じで聞いてくる。「食事できますか?」と聞くとドアと言うか言うか柵と言うかを開けてくれて中に招き入れてくれる。丁度、店を開ける時間だったようだ。
最初の客だったので当然店内には客はいない。奥の部屋に通され、どこに座ると言っているようなので、当然客は大勢来ると思ったので一番奥の席に座る。
席に着き、「Menu, please」と言うと「メニューは、無い。私が、メニューだ」と言う。さぁ、困った。今のは英語だよね。それともスペイン語?どちらも最後まで聞き取る自信はない。店の名前から考えるとイタリア語が話せるのではないかと思い思い切って「イタリア語を話せますか?」と聞いてみる。「ム、ム、お主イタリア語が、わかるのか」と言う感じで聞いて来る。やっぱりイタリア語が、通じると分かり色々聞いてみる。シェフは、イタリアのモデナの出身と知る。
ところで、何を飲むかと聞かれたのでビールと水を注文する、ところがビールの発音が悪かったのか怪訝な顔をされる。そうかビールは「ビルラ」と発音することを思い出し、言ってみると分かってくれる。さてお薦めの料理は、何かと聞いてみると、色々あるが壁にかかった写真にあるようにラザーニャとボロネーゼ・タッリャテッレはどうかと言う。迷うことなくそれにする。
前菜に持って来てくれたのが、写真にある三角形のチーズの上に3つの黒い点がのっているもの。これは、バルサミコ酢で彼のお父さんがモデナで作っていてそれを送ってくるとのこと。他にサラミも作っていて送って来ると説明してくれる。食べてみるとこれは、絶品だ。チーズの塩気とバルサミコ酢の甘味が抜群のハーモニーで本当に美味しい。時々こちらの様子を見にきて、どうだ美味しいかと聞いて来る。とても美味しいと言うと満足気に帰って行く。ラザーニャとボロネーゼ・タッリャテッレもとても美味しく満足する。ビールもなくなったのでハウスワインを追加しお勘定は、37ユーロ―。お釣りはチップとして渡して全部で二人で40ユーロ―(約5000円)。最後にまた来るねと言って店を出る。
イタリア語を勉強していてよかったなと思ったし、楽しい一時だった。一つ不思議なことがあるのだが、最後まで客は、我々二人だけ。他に誰も入って来ない。人気NO1店なのに不思議だ。時間が早いのか、スペイン人は、日曜は外食しないのか。何だろう。
5月23日(月)
シングルス予選リーグ
いよいよ予選リーグの試合開始。4人でリーグ戦を戦い、上位2名が決勝トーナメント、下位2名 がコンソレーションマッチ(負け組トーナメント)に回ります。果たして結果は?
① ③ ②
第1試合 新田3(6,3,10)0 Wojfgangu UHLT(ドイツ)③
第2試合 新田3(-8,-11、-8)3 Jose Luis Gracia Sanfrutos(スペイン)①
第3試合 新田1(-8,9、-8、-6)3 Stefan Jansson(スェーデン)②
第1試合は、幸先良く勝てたのだが、第2、第3試合は、二人に中陣で上手くしのがれ最後にドライブで決められる展開になり負けてしまう。予選リーグで負けたのは初めてでガックリしているところに、大きな外国人が目の前に現れる。初めは誰だか分からず、この人何なんだと思っていたが段々冷静になってくるとダブルスのパートナーのグイドさんと分る。頭は、イタリア語まで行かず、とにかく明日の待ち合わせの場所と時間だけ決めて別れる。
奥様の予選リーグ
第1試合 Reiko Nitta 0(-2、-8、-9)3 Freia Runge(ドイツ)
第2試合 Reiko Nitta 3(4,2,7)0 Yolanda Garcia(スペイン)
第3試合 Reiko Nitta 3(5,5,6)0 Sabine Namik(フランス)
奥様の試合は、19:50から開始。2勝1敗で決勝トーナメントに進出。試合が終わったのが10時を回っており、かなり疲れてホテルに帰る。
5月24日(火)
ダブルス予選リーグ
ダブルス予選の日。昨日、グイドさんと話して11時に会場内のバールの前で待ち合わせと約束したので少し前に言って彼を待つ。しかし、彼は来ない。言葉が通じなかったのかと思ってしまう。そんなことは、無いだろうと思い待つも彼は来ない。仕方なく試合会場の台に行くとそこに彼が待っていた。約束を忘れていたのだろう。さすがイタリア人。
早速サーブのサインの打ち合わせ。この日のために覚えて来たイタリア語卓球用語を思い出し打ち合わせ。ナックル、バックスピン、トップスピン、サイドスピン、長い、短い、これをイタリア語で決める。果たしてどうなるか?
左端が、グイド・カスタルディーニ(Guido Castaldini)さん。私の2倍ぐらいです。
右の2人は、1回戦の試合相手です。
第1試合
Yasuhiro Nitta (1,10,-10,-1,5) Phippe Pasque(フランス)
Guido Cataldini Lionel Guersh(フランス)
1セット目1本で勝ち、2セット目も勝ち、3セット目8-0でリード、ここからジュースで負け、応援団も呆れている。4セット目も負け。とても悪い流れですが、最終セットを物にする。
この試合でお互いの特徴、どのボールが好き、どのサーブが良いか分かって来る。
第2試合
Yasuhiro Nitta 3(5,1,4)0 Bernd Pauli(ドイツ) Guido Castaldini Roland Pauli(ドイツ)
この試合お互いの特徴が、更に分かってきて楽勝する。これで決勝トーナメント進出が決まる。
第3試合
Yasuhiro Nitta 1 (9,-4,-5,-4) 3 Danny Seemiler(usa)
Guido Castaldini David Sakai(usa)
この試合何とあのダニー・シーミラーと対戦する。また、あのが、出ましたが、ダニー・シーミラーは、往年の名選手でワイパー打法で有名で世界チャンピオンの長谷川信彦さんにも勝ったことがあります。
ワイパー打法とは、シェークハンドなのにフォアもバックも同じ面で打って来ます。その為、腕が身体の前でワイパーのように動くためにこの名前が付きました。この打法は、日本では見たことが有りませんが、海外では時々見かけます。前回のニュージーランドのオークランド大会でもこの打法の選手とあたり負けました。バックから来るボールが、ナックルになったり、横回転だったり、上回転だったりします。とにかくやっかいなボールが返ってきます。彼は、更にバック面にアンチトップスピンラバーを使ってレシーブの時にツッツキをしてきます。1セット目は、私のレシーブが効いて勝つことが出来たが、2セット目以降は、実力差が出て1-3で負ける。
試合の後、サカイさんと話しをする、彼は、日系3世で日本語は、少し分かる程度だと言う。彼は、64才でお祖父さんが、11才の時にアメリカに渡ったとのこだった。シーミラーと少し話をして「私はあなたのことを覚えています。あなたは日本ではとても有名でした」と言うと、「ありがとう。私のサーブはとても有名だが、君は1セット目とても上手くレシーブして来たので驚いた。1セット目は、良かったよ。」と言う。結構上から目線で、さすがアメリカ人と思ってしまう、
この大会、過去にも且つての名選手が出て来ます。例えば、元ユーゴースラビアのシュルベック(私は、横浜大会で対戦しました)、スウェーデンのアペルグレン、オーストリアのデン。イー、スペインの何志文などでトップのレベルはものすごく高いです。
サカイさんは、次回アメリカのラスベガス大会の組織委員をされているとのことでした。結局このペアは、その後のトーナメントで3位に入りました。
奥様のダブルス予選リーグ
第1試合
Reiko Nitta 0(-6,-8,-7) 3 Wu Shibao
Junko Otani Luo Shenru
中国ののおばさんは、強かった。
第2試合
Reiko Nitta 3(7、-5,9,9)1 Catoliczmanski Gagriele(ドイツ)
Junko Otani Zarifian-Arnold Hamid(ドイツ)
第3試合
Reiko NItta 3(10、-9,-9,4,14)2 Carme Mestre Ors(スペイン)
Junko Otani Concepcion Lopez Vazquez(スペイン)
この試合は、大変な試合になる。5セット目は、大接戦でお互い勝ちを意識してビッビテしまい、打てない。ツッツキの入れあいになり、ものすごく長いラリーになる。もう見ていられない。応援している方も何も言えない、ただ祈るだけしか出来ない状態。最後は、16-14で勝つ。勝ったから良かったけど、負けていたらどっと疲れが出る試合だった。
試合後、ホテルに戻りスーパーに買い出しに行く。そこで何とハイネケンビール330ml缶が、0.71ユーロー、約90円です。水より安い、どうなっているんだと思うぐらい安いので、買いだめする。
ハモン(生ハム)が、吊るされてあり、その前で味見させてくれる。美味しいのでこれを下さいと言うと何と1本丸ごとしか買えないらしい。どうもこの種類は、1本丸ごとしかだめらしい。切り売りが出来る物を教えてもらい味見して買うことにする。英語が通じずスペイン語で500g注文する。切ってもらったが、ちょっと多く注文し過ぎた感じの量だった。500g、9ユーロ―(1125円)安い。
5月25日(水)休養日で試合はなし
アリカンテの街歩き
今日は、休養日で試合はないので二人でアリカンテの街歩きに出掛ける。
マルケ考古学博物館
トラムに乗ってマルケ駅で下車。まずはマルケ考古学博物館に向かう。道を尋ねて博物館に着くと建物の前の広場に小学生らしき一団が、何やら大きな声を出している。先生も一緒になって大声を出している。この子達と一緒になってはうるさくてたまらないと思い一足早く館内に入る。中では、何やら北欧のバイキングに関する特別展示をしていた。バイキングとこの国との歴史を説明する映像を流している。色々な民族とのかかわりを感じた。
その内、小学生の一団が入って来たが、意外と静かにしている。そうか、広場で大声を出していたのは建物の中で静かにさせる為だったのかと気が付いた。
サンタバルバラ城
最初の写真の景色を見て失敗したと思う。マルケ側から行くんじゃなかった、反対側には、エレベーターがあるのにと思ってしまう。後の祭りで登るしかない。海抜166mと知っていたが甘く見ていた。気温も高く、本当に急な崖のような坂を登る。汗が噴き出してくるので日陰で小休止。やっとのことで頂上のサンタバルバラ城に辿り着く。
城から見える景色は、絶景だった。アリカンテが、高級リゾート地だと良く分る。高級なヨットが停泊するハーバーや海水浴客で賑わうビーチなどが一望できる。多くの卓球選手と思われる人達とすれ違う。
城から下ろうと、うろうろしていると、そこに小さなエレベーターが有りそれに乗る。降りていくとトンネルの中に着く。ここが有料のエレベーターと分ったが、下りは料金を払うところがなく、無料で乗ることが出来た。登りもこれにすれば良かったと思ってしまう。
エクスプラナーダ(遊歩道)
城から海沿いの道を歩いて行くとエクスプラナーダに着く。この遊歩道にあったカフェでジェラートと生ジュースで一休み。
ここからランブラ通りと言う南北にはしる大通りをメルカド(市場)に向かって歩いて行く。この通りは、街のメインの通りのようで左右に大きな商店が軒を連ねている。通りには、人通りも多く賑わっている。
メルカド(市場)
この建物を目印によく歩いたが、中に入るのは初めて。中に入ると肉、魚、野菜、果物、菓子などこの町で買えるほぼすべての食べ物が売られているようだ。ところがお目当てのトゥロンが、売っていない。店のおばちゃんに聞くとここには無いと言ってわざわざ市場の脇の屋台まで連れて行ってくれる。この街の人は、皆親切だ。
トゥロン売りの屋台のおじさんが、これはどうだ、これは何だと色々説明してくれる。結局3個も買ってしまった。まあ、この街の名物なのだからこれで良いだろうと思う。
アリカンテの風景
5月26日(木)
男子シングルストーナメント(コンソレーションマッチ)
新田康博 3(8,1,3)0 Dong Chu Pu(中国)
人の良い中国人に楽勝する。
新田康博 3(10,7、-4,5)1 Friden Hakan(スウェーデン)
この試合でひと悶着。前の試合が、終わって帰ろうとすると試合相手の奥さんに呼び止められる。「すぐに試合よ」と言われる。終わってすぐに試合は、無いだろうと思い、側にいた進行係の人に聞いても要領を得ない。半信半疑で試合をして勝つ。後で確認したところ正規の試合だった。第1試合が、4:00、第2試合が4:05から組まれていた。普通有りえないスケジュールだ。何かの手違いがあったのだろうと推測する。
3回戦(ノーフォト)
新田康博 3(-6,7,5、-5,4)2 Bend Roschen Thaler(ドイツ)
新田康博 3(-6,9,11,9)1 Andrea Magnni(イタリア)
グイドさんを知っていると言うフィレンツェの人。イタリア人らしくなく気難しそうなイタリア人
新田康博 3(-9,11、-7,8,8)2 Jerome Jean-Chales(フランス)
かなりの心理戦となる。フランス人は分からない。ニヤニヤ笑いながらチッラとこちらを見て来る。ここで怒っては負けると思い無視する。両面裏ソフトの攻撃型だが打球タイミングを合わせるのがとても難しい相手だった。
新田康博 1(-9,11、-9、-8)3 Ralf Nolkera(スイス)
相手は、フォア裏ソフト、バック粒高を使う攻撃型、このタイプの選手が日本ではほとんど見かけないがヨーロッパには多い。この試合で力尽きる。粒高で止められたリ動かされる球に対応できず負ける。10時も過ぎていて体力的にもきつかった。
結局ベスト8で終わる。
女子シングルス チャンピョンシップトーナメント
1回戦
新田玲子 3-0 Li Jian(中国)
2回戦
新田玲子 3(10、-9,8,12,3)2 Sheika Kingu(イングランド)
3回戦
新田玲子 3(4、-7,8、-7,4)2 Gerda Kux-Siebevath(ドイツ)
奥様は、3回勝ったので土曜日も試合をすることになる。二人の試合が終わったのが10時半ごろ。その後、試合が遅かった人達と早く試合が終わった人達が待っているレストランに行くも時間がないのでビールとイカフライぐらいしか食べられず。サンドイッチをお弁当にしてもらってホテルに持ち帰るも食べられたものではなかった。
5月27日(金)
ダブルスチャンシップトーナメント
Yasuhiro Nitta 3(7,9,5)0Jan Folkerman(デンマーク)
Guido Castaldini Flemming Begh Nielse(デンマーク)
試合相手の一人が、私のラケットの裏にラバーが貼っていないので違反だと言っているみたい。バックは、こうやって打つと言うとフーンと言う感じ。この人、卓球知っているのかなと思ってしまう。試合は、楽勝で終わる。
Yasuhiro Nitta 3(7,-7,-8,8,8) 2 Desai Yogesh(インド)
Guido Castalidini Dandekar Suhas(インド)
接戦となり辛うじて勝つことができた
インド人なかなか強し。
グイド・カスタルディーニさん
トラムに乗ってエル・カッペジョに向かう。海辺から100mもない砂浜沿いに電車が走って行く。地中海は穏やかな海なのだなと感じる。
この街は、海水浴を楽しむ所のようだ。土曜日だが海辺や通り沿いに色々な店が開いておりあちこち店を覗きながら散歩する。ブラブラしているとスーパーがあったので入ってみる。大きなスーパーで色々な物があったのでお土産を買い込む。
そろそろ時間なのでスーパーから駅に戻ろうとするが、どうも道が分からなくなる。地図を持っていないので色々な人に聞いてみるが、英語が分からないので通じない。仕方なくスペイン語で「駅はどこですか?」「エル・カッペジョ」と言ってみると皆スーパーの角を曲がれと言っているようだ。さっきいたスーパーまで戻り色々な人に聞いてやっと駅に戻れる。ちょっとした単語を覚えておくと助かるものだ。
女子シングルスチャンピョンシップトーナメント
新田玲子 0(-6、-8、-6)3 Liu Charlene Xiaying(アメリカ)
中国系アメリカのおばちゃんに負ける。相手は上手くつなぎミスがでない。チャンスボールも的確に決めてくる。
結局、奥様はベスト16まで行く。良くやりました。
UEFAヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝戦
今夜8時からサッカーヨーロッパ・チャンピョンズリーグ決勝戦が、イタリアのミラノで行われる。レアル・マドリード対アトレチコ・マドリードの同じスペインのマドリードにあるチーム同志の対決。この街の様子は、いったいどうなるのだろうと思いレストラン街に行ってみる。
かなりの店が満席で、皆テレビ観戦している。ひいきのチームのファンが分かれてテレビを見ている。あまりいがみ合った雰囲気は無い。人が入っていない店は、美味しくないのだろうと避けて、そこそこ客が入っている店を見つけビール片手にテレビ観戦する。この店の人は、比較的冷静で子連れの客も入って来て、食事をしてテレビを見てしばらくすると帰って行く。
ところが、アトレチコが、1点入れた時は、店内も回りの店からも大歓声が沸く。やはり熱いものが、あるのだなと思う。
試合は、1対1で決着は、PK戦にもつれレアルが勝つ。個人的にはアトレチコを応援していたので残念。アトレチコが、可哀そう。
5月29日(日)
アリカンテでの最後の日。試合は、まだ続いており各種目の準決勝、決勝戦が行われる。我々は、負けてしまっているので、街歩きを楽しむ。
アリカンテは、穏やかなリゾート地、ヨーロッパの人たちは、ゆっくり海辺で過ごすようだ。気温は、昼は、25度から30度になり、陽ざしが強い。日陰に入ると涼しく感じ、湿気がないので過ごしやすい。朝夕は、少しひんやりして上着が欲しくなる。
リゾート地らしく清掃がしっかりしており清潔な街だ。何かゆとりを感じる。そんなに大きな町ではないので、その気になれば歩いて主要な場所には行けそうだ。街の人たちは、親切でぎすぎすしたところがない。街中には、南国らしく色鮮やかな花々が咲いていた。
全部の試合が、終わった後バスでアルハンブラ宮殿のあるグラナダへ移動、5時間かかった。
5月30日(月)
アルハンブラ宮殿
この旅のハイライトの一つ、アルハンブラ宮殿に入る。1492年にフェルナンドとイサベル両王が、この城を無血開城させ、最後のイスラム教国家グラナダ王国が、陥落してレコンキスタが完成する。一体どんな宮殿なのか胸が躍る。
入口の前には、大勢の人だかり、入場を待っている。イアフォンを渡されガイドさんとグループ毎に入場する。最初は、高い木の並木道があり、よく手入れされた垣根とイングリッシュガーデン風の花が咲き誇る庭園を通って行く。この庭園は、キリスト教徒が、後で作ったものと教えてもらう。
ヘネラリーフェ 夏の宮殿
宮殿内に入ると、やがて噴水をあしらった水路のある中庭に出る。イスラムの人の水への憧れを表しているのかと感じる。
アラヤネスの中庭
そして、コマレスの塔が水面に映えるアラヤネスの中庭へ
12頭のライオンがいる中庭に入ると、ライオンは、少し間抜けた顔をしていた。しかし、回廊の壁、天井に施された装飾の精緻さは本当に素晴らしい。昔は、色がついていたとのことだが、ちょっと想像がつかない。どんな素晴らしさだったのだろう。
この宮殿には、キリスト教の教会や宮殿にある像や絵画は無い。その代わりに屋内外の壁や天井にコーランの一節の文字を装飾に用いたり、精緻な彫刻が施されてあったり目を奪われた。本当に見所満載の宮殿だった。
ロンダ
ロンダは、断崖絶壁の上にある街。いったいどうしてこんな所に街を作ったのだろう?この街は、天然の要塞だったと容易に想像がついた。1485年アラゴン王国フェルナンドが率いるキリスト教軍38000人が、攻めても7日間も頑強に抵抗したとのことだ。ヌエボ橋は、100m位もある崖の両側から掛けた橋。上から見るとちょっとすくみあがる。街は、この橋の両側に広がっているが、そんなに大きな街ではない。
この街のもう一つの見所、スペイン最古の闘牛場。中には闘牛歴史博物館がありました。
5月31日(火)
白い街ミハス
小さいけれどきれいな白い街ミハスをそぞろ歩き。白い街並みと青い空が映えるきれいな街だった。
奥様は、お土産屋さんに入って何やら物色している。自分もスペインに行ったら革のベルトを買おうと思っていたので、目についたベルトを取り値段を聞くと28ユーロ―(3500円)と言う。高いと思ったので立ち去ろうとすると25ユーロ―と言う、それでも高いと思うのでいらないと言うと20ユーロ―と言う。それでも高いので立ち去ろうとすると店の中から若いがオーナーらしき人が、が出て来て18ユーロ―と言って来る。15ユーロ―にならないかと言うとそれはできないと言うので結局18ユーロ―(2250円)で買う。15ユーロ―にはなったのではと思うが、面白い駆け引きだったので、まあいいかと思った。
奥様も日本人が経営する店で色々買ったが、街歩きをしていると少し違う雰囲気の店を発見する。オーナーも楽しい感じの人で気に入り、この街の絵を買う。
白い街ミハスは、本当にきれいだった。堪能する。
マラガ
ミハスからマラガに行き、スペイン新幹線でマドリッドに向かうことになる。
マラガは、ピカソが生まれた街でピカソの生家、ピカソ美術館がある。また、紀元前からの歴史がある街でローマ時代の建物があるようだ。この街も散策したかったが、時間が無く、通り過ぎるだけになったのが残念だ。
6月1日(水)
マドリッド
プラド美術館
マド
リッドの人気スポットプラド美術館。大勢の見学者が、来ている。ゴヤ、レンブラント、ルーベンス、ヴェラスケス、など有名な画家の絵画が展示されているが、絵には知識も興味もないので覚めた感じで見学する。日本人の館内ガイドさんが、かなり力を入れて様々な絵を解説してくれる。ちょっと力が入り過ぎるかなと思う位力が入っていた。彼女は、少し病気をしていて久し振りとのことなので思わず力が入ったそうだ。彼女の説明を聞いていると絵の由来、題材の歴史、技法などを知っているとその絵の持つ意味や価値が分かると思った。
マドリッドの街歩き
午後のフリータイムにメトロに乗って街の中心部に出掛けてみる。カジャオ駅から太陽の門広場へ向かう。青と赤の布地がたなびくショッピング街を歩いていると、レアル・マドリードのオフィシャルショップがあったので中に入ってみる。優勝して4日目で店員は皆ニコニコしている。色々なオフィシャルユニフォームが、売っている。チームカラーの白のTシャツの背中に11が、書かれているものは売り切れ。白のユニフォームに11(チャンピョンズリーグ優勝回数)が、書かれたものは、110ユーロ―(14000円)と高いので、横にあった紺色の優勝記念Tシャツを買う。記念になるものを買って満足する。
通りがかった市役所の建物にはCAMPEONESの垂れ幕があった。複数形で書かれてあるので、チャンピョン達の意味。レアル・マドリードの選手たちを讃えているのか、レアル・マドリードとアトレチコ・マドリードの両チームを讃えているのかどちらだろうと思ってしまった。
フラメンコ
夜にオプションツアーのフラメンコを見に行くことにする。参加者をつのるとバス1台では足りないので、私達ともう一組の夫妻と4人でタクシーで言ってくれと添乗員さんに頼まれ、20ユーローを渡され、お釣りと領収書を頼まれる。
このタクシーの少し年配の運転手が面白い。彼は、スペイン語でずっと話しかけて来る、これは中国人が買ったビルでいま何も入っていないとか、なんだかんだ話しながら車を避けながら左右に曲がる。自分で車をこの街で運転するのは無理と思う。前の車が、どう動くかまるで予測がつかない。そして、ショーのあるレストランについて支払いの際、メーターは6ユーロ―なので、10ユーロ―を出すと3ユーロ―のお釣りをくれる。ムムー、1ユーロ―は、チップと言うことか。ここでクレームをつけては大人げないないので、レシートをくれと言うと、彼は分らないので、数字を書く真似をすると分かったようで領収書をだしたので、7と書いてくれ(スペイン語で)と頼むと、ニコとして7ユーロ―と書いてくれる。これで良し。
タクシーで来た我々が一番乗りなので、どこでも好きなところに座って下さいと言われたので、迷ったあげく舞台の一番前の席に陣取る。食事込みで1万円。食事は、まったくダメだった。
かなり以前、NHKの番組で世界の音楽シリーズでフラメンコを取り上げた番組を見た。フラメンコは、ダンスとギターも素晴らしいが、本質は、歌にあると紹介していたことを思い出す。フラメンコとはどんなものかとすごく期待してショーを観る。
ギターと共にリズム感のある手拍子でショーが始まる。少しお年を召した女性ダンサーが踊りだす。シャナリ、シャナリからやがてステップが早くなり、靴が舞台を打つ音が高まり迫力がある。
次いで出てきたのが、男性ダンサー。静かな始まりからやがて感情を込めたステップに切り替わりすごい音を出す。ダッダッダーダー。彼の靴が、舞台を打つ音の大きさ、リズムの速さ、すごい足技、感情を込めた表状。これには圧倒さた。やがてギタリストが代わり、ギターと歌も披露される。哀愁を感じるギターとヴォーカルだ。その後、三人の女性ダンサーが出て来る。ダンサー全員が、インド人のような顔つきに見えた。フラメンコは、以前はジプシー、今で言うロマ民族の踊りとは知っていた。彼らの顔を見るとインドの方の貧民が、ヨーロッパに辿り着いて、現地の民と同化できず、流浪の旅をした民族と感じる。
6月2日(木)
マドリッドからスペイン新幹線で3時間かけてバルセロナに移動。
バルセロナ
バルセロナでは、モイーゼ君が、案内してくれる。彼が、ものすごく流暢な日本語を話すのでビックリ。彼は、広島、新潟で8年間住んでいたことがあると言うので納得する。バスで街中を走っていると市場と言う文字が”Mercado”が”Mercat”に代わっている。カタルーニャ語だと思った。
サクラダファミリア
この教会を目にした時、ヨーロッパのどの教会とも似ていないと思う。パリのノートルダム寺院、ミラノの大聖堂などゴシック建築、ルネッサンス建築など建築様式で呼び表されることがあるが、この教会は、どの様式にも属さない。強いてあげるならガウディ様式と呼ぶしかない。ガウディは1852年生まれ、私の丁度100才年上だ。
先ずは、写真撮影の絶好ポイントの公園に行き、記念写真をパチリ。
教会の前は、入場を待つ大勢の人だかり。年間300万人が入場し、入場できない人も含めると年間1000万人の人が、この教会を訪れるとのことだ。
日本人の外尾悦郎氏が、精魂込めて作った慈悲の門を通り教会内部に入る。
この門は、ツタをモチーフにして夫婦を表している。正面に三つある門の中で中央にある門。
教会の内部には、驚きの光景が待っていた。光が、溢れている。多くのキリスト教会に入るとやや薄暗く荘厳な雰囲気で、絵や像が飾られているものだが、ここにはそのような物は無く、優しい光に包まれているような雰囲気だ。
この教会は、まだ完成していない。完成には、後10年ほどかかるそうだが、完成するとどんな姿になるのだろう。完成した姿を是非見に来たいと思う教会だった。
サン・ジョゼップ市場
サクラダファミリアからランブラス通りをブラブラ歩く。この通りは、本当に人で賑わっている。市場の中は、大勢の客でいっぱいだ。知人が、マドリッド駅で買えなかったドライフルーツを売る店があったので、知人は大量購入する。我々もここには色々な種類のドライフルーツがあったので、あれやこれやと楽しんで選ぶ。最後に重さを測ってお勘定となる。どの種類も同じ値段なのだ。
ここでちょっとハプニング。私のバックパックが少し開いていたの見てスリらしき人物が、私の後をつけているのを奥様が見つけて、私のポケットを閉めたところ、その人物は、去って行ったとのことで事なきを得る。
生ハム売り場で私の前にいる人がイタリア語でしゃべっていたのが分かったので店員にイタリア語で「味見できますか?」と言うと、お主イタリア語が分かるのかと言って、一切れ味見させてくれる。ちょっと得した気分だった。
バルセロナの街
この街は、本当に活気が、溢れていると感じる。人通りが本当に多い。木曜日の昼下がりにこの人通りなのだから我々のような観光客が相当いるのだろう。ガウディの残した遺産が人を引きつけているのではないかと感じる。今回は、半日しか見て回ることがきないのが残念だ。もう一度訪れてみたい街だ。
カンプ・ノウ
ホテルのすぐ近くにFCバルセロナの本拠地カンプ・ノウがある。ここは、どうしても行ったみたい所だった。。夜も遅いので何もやっていなく、中にも入れないとは思ったが、二人でカンプ・ノウを一周してみる。さすがに10時を回ると辺りは、暗くなり、人通りもまばら。
10万人収容するサッカー競技場は、巨大なスタジアムだ。一周するのに30分位かかった。ここでバルサの試合を見たいなあと思う。
6月3日(金)
スペイン最後の日
今日は、スペイン最後の日。名残惜しいのでもう一度朝からカンプ・ノウを一周してみる。スタジアムにはピケ、イニエスタの写真はあったが、何故かメッシは、いなかった。
6月4日(土)
パリ経由で定刻通り朝8時30分成田空港に到着して長い旅を終える。
今回の3つの目標を一応達成して満足度の高い旅だった。気候も良かった。スペインは、太陽と情熱の国と言うだけあって光が溢れている感じだった。気温は、25度前後、朝晩は、ちょっと寒く感じることがあったが、上着があれば快適、昼は日陰に入れば大丈夫。空の青さが素晴らしい。日本では、なかなか体感できない青だった。
長々と書いてしまいました。最後まで読んで頂きありがとうございました。
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